健全な自由主義のメディアとは、如何なる公権力にも左右されない、公正中立な媒体を指しています。所謂、中国共産党のプロパガンダの”嘘”の、拡声器になっては駄目なのです。
「日中記者協定」が存在するにせよ、時として中国の権力に屈することなく、被弾圧者の声に、記者たる者は真摯に耳を傾けるべきです。
ペンが権力に屈したら、それはメディアの死を意味するからです。それは、記事の捏造にも等しい行為と言ってもいいのです。中国の政治的な問題の核心について、報道する媒体が希少なことは、私達を失望させています。中国当局の宣伝を鵜呑みにする限り、我々は真実を奪われた儘、放置されることを意味します。ジャーナリストが党の広告塔になるとしたら、それは中共による弾圧・虐殺の幇助者と変わりがないのです。北京政府の嘘を見抜けない者は、記者たる資格はありません。本稿では、日本メディアへの遺言と称して、メディアの刮目を促す記事をまとめたいと思います。
高邁な理想を掲げること
自由主義のメディアには、高邁な理想が必要です。時の権力にへつらうメディアは、既に過去の産物です。詰まり、そうしたメディアは、北京の害毒を垂れ流し、当局のプロパガンダの尻馬に乗った、謂わば、中共の御用機関に過ぎなくなるからです。これは、メディアの腐敗の第一歩となります。戦中の朝日新聞は、虚報を垂れ流し続けていましたが、慰安婦記事の捏造で、再び国の内外の世論をミスリードしてしまいました。驚くべきことに、小さな訂正記事を掲載したのみで、「正しい報道の在り方」について、朝日新聞が議論を重ねた経緯は皆無でした。捏造記事に頬被りしたまま、厚顔無恥な記事を書き続ける朝日新聞は、最早、信頼されないメディアへと、転がり落ちていったのです。
自力で調べることすら無く、当局のプレスリリースをそのまま垂れ流す。これは最早、犯罪と言っても良い。高邁な理想を掲げるメディアは、公正たろうと自己改革を繰り返します。それは畢竟、民意に対し、善良な態度と言えるでしょう。私は中共に果敢に挑む、「大紀元」を強く支持しています。
対中報道の在り方について
自由主義を価値観とする政治制度の下では、報道の自由が保証されています。マスメディアは巨大化し、一定の”権力”を持つことも担保されています。それゆえ、メディアは世論をミスリードしてはならず、公正な真実を伝える義務を負っています。即ち、メディアは国民の益たるべきなのです。
敵性国家である、中国の利害を代弁し、国民の名誉に傷を負わせるような報道は、国民への叛意と受け取られても仕方が無いのです。
書くべきことは、正しく書く。それが報道に関わる人間の使命の筈です。
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