既に福沢諭吉は、当時の朝鮮半島を眺めて、「脱亜論」の中で以下のように述べています。「 国を売りても身に利するところあれば憚らざるものの如し 」と。昨今の文在演の外交を眺めていると、韓国国民に対しての、違背とも取れる行動が目立っています。北朝鮮との連邦制を企図する文在演は、日韓関係を破壊し、自国に駐留する米軍を半島から追い出したがっています。国内では反共派に親日分子のレッテルを貼り、情報機関を縮小して対北警戒を徐々に緩め、大韓民国を無防備な状況へと追いやる文在演の意図するものは明白です。結論から言えば、韓国の亡国を企図し、北主導による「統一国家」の目論見ではないでしょうか。そのためには、民意を煽り、反日へと向かわせて世論を操作し、日韓関係を破壊して、金正恩を首魁とする統一国家の建設にあるのでしょう。これを文在演の妄想や錯誤として一蹴することも可能ですが、当の文在演は本気のようです。本稿では、文在演の「異常な行動」に焦点を当てて、それがもたらす功罪について考察していきます。
対日強硬派の文在演
自由と民主をセントラルドグマとする日米と対立し、日米韓の枠組みを破壊して、従北によって極東の安全保障のスキームを破壊する。その為に、先ずは日韓関係を破局させて、事ある毎に日本と対立関係を増幅させる。慰安婦・徴用工・レーダー照射・GSOMIA破棄・日章旗の掲揚拒否など、あたかも「敵性国家」の如く振る舞い、文政権は日本を攻撃する。更には、苛立つ米国を刺激し続け、最終的には米韓同盟すらも弱体化させる。事実、これが文在演の目論見なら、「朝鮮民族主義」とも呼ぶべき、壮大な妄想に近いと言わざるを得ません。センシティブな方法で「朝鮮民族」を鼓吹し、その為にこそ、反日を有効な政治的な手段として使っている。文在演の主張する 「積弊清算」 とは、歴代政権の弊害を破壊すると同時に、対日政策での歴史的な成果そのものを、引っくり返す行為ではないでしょうか。
文在演は、歴史問題を含め、かつての歴代政権と日本が交わした国際的な約束を白紙に戻し、積弊清算の名の下に、日韓に於ける全ての外交的な成果を、破壊する積りなのです。
1919派と呼ばれる文在演は、韓国の建国が1919年だと主張し、不可解な歴史的見識を持って、自国生誕100周年を祝っています。「大韓民国」の成立は1948年ですから、文在演の主張は間違っています。然しながら当時「朝鮮の臨時政府」なるものが存在していたと文在演は主張していて、1948派の保守層と決定的に対立しています。1948年以来の日韓に於ける歴代政権の外交的成果を、ちゃぶ台返しのように破壊して、1965年の日韓条約を不当視する。これは最早、「外交」と呼べるものではなく、歴史の歪曲・捏造、乃至は文在演の妄想と判断しても良い。ここに至って、私は、文在演が異常な人格の持ち主だと理解しています。これでは条約も外交も効力を成さない。日米政府が、更に言えば北朝鮮ですら、文在演を相手にしない理由が腑に落ちるのです。
北朝鮮に併呑される日
北朝鮮に秋波を送り続ける文在演ですが、金正恩は文を全く相手にしていません。北にとって、対話の相手は米国であり、核問題も、韓国に配備された核の撤去を前提として話が進んでいるからです。1950年、朝鮮戦争が勃発していますが、北朝鮮と人民解放軍は南進し、韓国は半島の南端に臨時政府を建てて滅亡の憂き目に遭っています。米国を始めとする連合軍が、命の代償を払って38度線に押し返しましたが、かかる歴史的事実の重みを、文在演は全く理解していない。駐留米軍が何のために存在しているのか、文在演には理解が出来ていません。アメリカは辛抱強く韓国を説得して来ましたが、「赤化」へと向かう文政権を既に見放しています。アメリカは、もう、韓国への救国の意思は放棄している筈です。38度線を超えた北朝鮮軍に対し、文在演は、自国の「武装解除」を命じるのではないでしょうか。
この記事のまとめ
文在演の功罪について、最後に纏めます。自国を北の弾圧国家の蹂躙の危険に遭わせ、国際秩序を乱し、条約を反故にして、挑発的な態度で他国を蔑ろにする。もはやこれは、「死」に値する行為だと私には映っています。福沢諭吉は書いています。 「悪政の余弊が民心の解体をもたらしたもので、是非もなき事なり」 と。こうして、韓国は歴史の流れの蚊帳の外に置かれ、いずれ滅亡する運命にあるのでしょう。日本には「外患誘致罪」という刑罰があります。これは、外国と通牒して戦争を引き起こした者は死刑に値する、というものです。文が政権から引きずり降ろされた後、どんな刑罰で裁かれるかは、私には定かでありません。いずれにせよ、危険なゲームを始めた文在演には、何らかの報いが待っています。
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