対馬の地理的概況から見ていくと、その面積は約700km2で、日本で10番目の大きさに相当する大きな島です。 日本海の西の入り口に位置する対馬は、 九州より玄界灘と対馬海峡東水道を挟み約132kmに位置しています。対馬に住む世帯は1万5166、人口は2016年度で 3万1963人が暮らす島です。
歴史を俯瞰すると、663年の 「白村江の戦い」以来、防人が設置され、唐・新羅の侵攻に備えた歴史を持っています。「元寇」時には対馬は最大の受難を迎え、近世に於いて豊臣秀吉に本領安堵を受けて、江戸時代は対馬藩として幕府に帰属してきました。幕末・明治期には、その地政学的な位置の重要さから、日本政府は、島を軍事要塞化しています。日露戦争に於ける日本海海戦は、"Battle of Tsushima"(対馬の戦い)と評された程、対馬は受難続きの地理的な位置に存在していました。この点は現代に於いても基本的に変わっていません。
GHQによる日本の占領下に、韓国の李承晩政権が、突然、対馬の領有権を主張し始めます。現在の対馬問題は、此処から始まっています。本稿では、以上の歴史を踏まえ、対馬が直面する問題について、俯瞰的視点から考察していきます。
対馬は日本国領土である
韓国が、いかに無体な言い掛かりを付けても、対馬が日本の領土であるのは不変です。韓国には対馬を自国領だと主張する 「対馬の領土を要求する韓国議員連盟」 なる一団が存在し、 2008年7月、韓国のハンナラ党の議員ら50人余の国会議員が「対馬は韓国の領土であり、日本は対馬を韓国政府に即時返還すること」を求める『対馬の大韓民国領土確認および返還要求決議案』を提出し、韓国国会の外交通商統一委員会に付託された経緯があります。―Wikipediaより抜粋
同月、財部能成対馬市長は「主張は自由だが、対馬は先史時代以降ずっと日本。『魏志倭人伝』にも倭国の中に入っている。対馬が韓国領土というのはあり得ない」 との主張に立って、韓国側に反論したところ、2009年11月、「対馬は韓国領」と記載された文書や刃物を持って、在大韓民国日本国大使館に放火し、大使館員を人質にしようとした男が逮捕されています。李承晩ライン以来、竹島は侵略され、対馬も韓国の自国領だと主張しています。
歴史を見れば、対馬は日本国領土であるのは揺るぎなく、韓国の主張は誤っています。
一触即発の対馬
驚くべきことに、 前韓国海軍作戦司令官の金成萬は2007年(平成19年)に対馬への軍事侵攻計画を作成するよう韓国政府に進言して いたのです。こうした事態を受けて、対馬の島民は自衛隊の増強を要請していたのです。
これは何を意味するのか?
竹島を奪い、対馬に軍事侵攻を企てる韓国を、私は真の友邦国とは考えられません。
昨今の日韓関係の険悪さの原因に、対馬の問題も私達は看過してはならないと思います。
対馬への韓国資本の進出
韓国人が日本人名義で、 海上自衛隊対馬防備隊本部の隣接地で旧日本海軍の施設のあった土地を買収し、リゾート地を建てる騒動が2008年に起きています。対馬を視察した、超党派議員の代表の平沼赳夫氏は 、「国境対馬振興特別措置法(防人の島新法) 」の制定を促しています。冒頭で見た、歴史的・地政学的な対馬の重要性は、非常に高いのです。
日韓関係が決定的に破綻した場合、日本は対馬の島嶼防衛を本気で考える必要があります。
長崎県議会は、相互主義の原則が成立していないとして、外国人参政権に反対の立場を表明しています。これは当然の結果で、「 在日韓国人に地方参政権が与えられたとしたら、韓国政府の意向を受けた地方公共団体の長や議員が誕生し、実質的に対馬を韓国領とされてしまう 」との懸念には、高い合理性が認められるからです。―Wikipediaより抜粋
この記事のまとめ
対馬への野心を隠し持つ韓国に対し、日本政府は毅然とした態度を貫く必要があります。現在の文政権の迷走ぶりには呆れますが、私は既に、二国間の問題を、韓国とは対話で解決出来るとは思っていません。受難の続く対馬の歴史を振り返りながら、本稿を閉じたいと思います。
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