令和元年十一月二十五日、川崎市でヘイト条例が可決されようとしています。発端は、大阪市で同様の条例が、川崎市に先立って、成立したことを受けたものです。ヘイトスピーチ対策を求める意見書を、地方議会が相次いで採択した流れの一つでもあります。 「ヘイトスピーチ規制を求める意見書」 の問題点はいくつかありますが、これは日本人を一方的な加害者と見做し、ヘイトスピーチの被害者が在日朝鮮人であると規定している点です。日本人による在日朝鮮人に対する言論が対象であり、その逆の在日朝鮮人の日本人への言論は規制の対象から外れているものだと要約出来ます。 「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例 第2条」には、「不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるもので あること 」とあり、インターネットに関しても、上項は規制を掛ける仕組みとなっています。事実、この事例でいうところの規制とは 「インターネットその他の高度情報通信ネットワークを利用して他の表現活動の内容を記録 した文書図画又は画像等を不特定多数の者による閲覧又は視聴ができる状態に置くこと 」と記されています。今回の記事では、失われゆく言論の自由と題して、ヘイト条例の問題点について考察して参ります。
憲法とヘイト条例
最初に、憲法21条1項・表現の自由との関わりで見ていきましょう。先ず、ヘイト条例が、日本国憲法の定める、「表現の自由」に抵触しないかが挙げられます。詰まり、日本人が在日特権を批判したり、在日韓国人に批判を加えたりすることが、以降、不可能になる点です。これでは在日朝鮮人のヘイト的言論が、無制限に放たれても、日本人は反論出来なくなることを意味します。更に、 憲法14条1項・「 法の下の平等」に反するのではないかと、私は考えています。こうした明快な質問に対し、強硬にヘイト規制の法案を推進してきた自民党保守派であった筈の西田昌司参議院議員は、ヘイト法に関する合理的な説明を避け、口を噤んでいます。一部で、在日本大韓民国民団との関わりを疑われているようですが、真相は分かりません。いずれにせよ、仮に北朝鮮拉致問題で北朝鮮を批判したりする場合も、ヘイトと言われかねないのです。
規制の対象は川崎市だけではない
更に重要なのは、条例を定めた川崎市にだけ適用される規制ではないという点です。これは常識から著しく隔絶しています。日本全国、津々浦々、川崎市の定めるヘイト条例の規制が掛かって来るのです。川崎市で定められた条例には、刑事罰が含まれるのも問題です。通常の法治国家であれば、先ず、起訴されたにせよ、弁護士が被疑者を弁護しますし、検察も事実関係を法に照らして、双方が論戦し、裁判の結果が出る訳です。しかしながら、川崎市のヘイト条例では、国全体へと条例が拡大され、国法を超越する効力を持つのです。事案を審議するのは行政機関によるもので、司法ではないのです。審査のプロセスが不透明であり、何を持ってヘイトスピーチと見做すのか定かでない点も問題です。
川崎市民にしか是正出来ない
厄介な点が、もう一つあります。この条例を破棄するにせよ、或いは改正するにせよ、川崎市民と市民から選出された川崎市議会が動いて初めて成し得るのです。これは論理的に矛盾しています。何故なら、規制は全国に及ぶにも関わらず、川崎市民以外の発言者が嫌疑や規制・罰則を蒙っても、救済措置は何もなく、ひたすら川崎市民の良識に委ねるしかないからです。これは馬鹿げたことです。権利と義務は一対であり、ヘイトを犯すなと言うのであれば、市政に参加出来る選挙権が一対でないと、おかしいからです。一つのパラドクスですが、Aという市がヘイト条例を可決し、Bという市がヘイト条例を否決したとします。その際にも、A市の決定がB市の否決に勝ると言えるのでしょうか。これではB市の民意は毀損されたと言っても過言でなくなります。
民団という組織
在日本大韓民国民団(民団)という組織が日本には存在します。主な活動は以下の通りです。
「地方外国人参政権獲得運動」「ニューカマー韓国人の永住資格獲得の支援」「外国人登録令/法への反対運動」「日本との法的・経済的格差の撤廃運動」「韓国側の歴史認識に基づいた日韓歴史・文化交流」「対日・対外広報宣伝等の活動」 ―Wikipediaによる
人によっては「在日特権」を達成する機関と考える人もあるかも知れませんし、私も民団の考え方や活動に対して、異論を持っています。然しながら、これから先、我々日本人だけが、言論の規制を受けるというのは、理不尽極まりないことだと考えています。民団の活動自体が、内政への干渉だと、私も受け止めているからです。特別永住制度は、長らく論争を巻き起こして来ましたが、日本の法制度は日本人と帰化人を区別せず、参政権も等しく与えています。参政権が欲しいなら、帰化すれば良いと、私も考えています。付け加えると。在日のまま、参政権を求めることが、野党の運動になったことが、混乱を招いています。いずれにせよ、我々日本人は、言論において、窮屈な道を選んでしまったということです。
この記事のまとめ
この法案には、公平性がありません。日本人であれ、在日朝鮮人であれ、ヘイトスピーチは互いに慎むべきです。日本人だけに課せられた言論の縛りは、後に大きな禍根を残すと言っても差し支えがないでしょう。
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