中国の全人代に於ける、「国家安全法」の成立に対して、自民党の二階俊博幹事長は、「(事態を)慎重に見守る」と発言しています。この玉虫色の発言の言わんとするところは、どう考えても、私には意味不明です。人権弾圧を推進する中共への批判をするのが、本来の筋ですが、二階の「見守る」相手が中国当局なのか、それとも香港の自由主義者なのか、対象が明確ではなく、更には、「他国の政治行動について、とやかく意見を述べることは適当ではない」と放言しているのです。つまり、中国への「内政干渉」に相当するが故に、日本側から抗議することは無い、と述べているに等しい。人権問題へのセンシティブな配慮に欠け、一国二制度の約束を破る中国政府に忖度する二階の外交感覚は、もはや狂っているとしか言いようがない。外患内憂の日本を、更に混沌へと陥れ、香港の自治や自由主義を否定する二階の存在は、日本国の害毒に他ならない。公明党の山口那津男代表も、表向きは香港弾圧を批判しつつも、習近平の国賓来日には反対意見は表明していない。山口代表は、習の来賓に関して、「国賓として招くことは、もっと大きな次元で判断したことだ」と述べていますが、「もっと大きな次元」と言って憚らないのは、香港に於ける「国家安全法」による民衆弾圧は、「軽微な問題」だと発言しているに等しい。中共の「国家安全法」は、いずれ無辜の民を破滅に追い込む、重大な人権侵害に繋がる恐れが否めない。つまり、山口代表の論理は破綻している。恐らく「大きな次元」とは、日中間の政治や経済、軍事的緊張を緩和する事案などかと思われますが、習近平が、尖閣諸島への野心を捨てる筈がありません。仮に習近平が来日しても、外交的な成果は殆ど見込めない。二階も山口代表も、チベットやウイグル、内モンゴルで何が起きているのか、知らないでは済まされない。彼等は政治の要職にあり、日本国家、及び日本人を代表して、外交の前線に居るからです。31年前の今、天安門に参集した若者達が希求していたのは、国の民主化と、人間としての自由でした。香港デモは、現状では沈静化していますが、6月4日が来る度に、追悼デモが連綿と続いて来た。「香港市民愛国民主運動支援連合会」の代表の李卓人主席は、香港の自治が破壊され、中共による圧政が始まると明言しています。中共は31年前から、何ら民主化しておらず、益々と弾圧と虐殺を進めているのが実態であり、「忖度」などと馬鹿げた態度で中共に媚びる、売国政治家の跳梁跋扈は許し難い。この稿では、人権意識が希薄な売国政治家に楔を打ち込むべく、論考して参ります。
国家安全法への無関心
二階俊博の発言を裏書きする事実は一体何か。彼には、香港に於ける人民弾圧に関心が無いのが露呈しており、平和や普遍的な人権を共有する私達日本人とは、別次元の存在に相違ない。世界中で、中共が牙を剥いているのを知ってか知らずか、二階は媚中派として、政界の黒幕を気取っている。二階にとっては、実は香港弾圧など、どうでもよく、目先にぶら下がった餌にしか食指を動かさない。自民党の中には、政府が香港問題に関し抗議を示さず、「憂慮する」とした表現に留まっている不甲斐なさを、糾弾する声が上がっています。対中制裁に踏み出した米国との歩調が合わないジレンマを、二階は、どう解決する積もりなのか。いずれ安倍首相は、重大な選択を迫られるに相違ない。専制国家中国と親善を結ぶのか、米欧に同調して中国への圧力を強めるのか、二者択一を迫られる筈です。安倍氏が前者を選んだ場合、首相としての求心力は著しく低下し、自民党の保守支持層を失望させるのは、間違いがない。世論を含め、これだけ習近平の国賓来日への反対意見が出ているにも関わらず、民意を無視してまで強行すれば、一体どうなるのか。国家安全法に対するスタンスの持ち方で、私は、国士と売国奴を分ける指標に使っています。
野党の頽落
国会審議に参加せず、国家から給与を得、些末な事案で政府を攻撃する。取るに足りない連中ですが、彼等にとっての議員バッジは、腐っても鯛のようです。確かに一定の民意の支持を受けてはいる。然しながら民主党時代から、否、もっと以前から、何度も党名を挿げ替えつつ、離合集散を繰り返した彼等には、「まっとうな政治」など出来る筈はありません。共産党は、香港弾圧に関し非難を加えていますが、私には、ある種の「免罪符」にしか映っていない。何処の党かは書きません。実際問題として、私は彼等に何らの関心も抱いてないからです。史上類を見ない悪疫の最中、彼等が何と発言したか、私はよく覚えて居ません。国民民主党の原口某は、旧民主党を復活させるべく、石破茂に秋波を送っているそうですが、それは党利の問題であり、国民の利益を優先する振舞いではない。馬鹿げた話が次から次へと出て来る野党の頽落に、私は溜息を吐く以外に方法を知らない。政府と国民が、一丸となって、コロナ禍を克服しようと懸命な最中、彼等は利己主義的であり、何らの定見も持ち合わせず、一切の協力を拒んで来た。これは「国民への背任」と言っても良い。紙幅の関係で詳細は避けますが、腐敗しきった野党の顛落は、次の選挙で判然と分かるでしょう。私は、彼等がまともな公人とは考えていない。その鉄槌が下る日が確実にやって来ます。
メディアの死と政治家
自由主義のメディアには、高邁な理想が必要です。時の権力にへつらうメディアは、既に過去の産物です。詰まり、そうしたメディアは、北京の害毒を垂れ流し、当局のプロパガンダの尻馬に乗った、謂わば、中共の御用機関に過ぎなくなるからです。これは、メディアの腐敗の第一歩となります。戦中の朝日新聞は、虚報を垂れ流し続けていましたが、慰安婦記事の捏造で、再び国の内外の世論をミスリードしてしまいました。驚くべきことに、小さな訂正記事を掲載したのみで、「正しい報道の在り方」について、朝日新聞が議論を重ねた経緯は皆無でした。捏造記事に頬被りしたまま、厚顔無恥な記事を書き続ける朝日新聞は、最早、信頼されないメディアへと、転がり落ちていったのです。自力で調べることすら無く、当局のプレスリリースをそのまま垂れ流す。これは最早、犯罪と言っても良い。高邁な理想を掲げるメディアは、公正たろうと自己改革を繰り返します。それは畢竟、民意に対し、善良な態度と言えるでしょう。然しながら、これは、現在の日本では理想にしか過ぎない。既に、日本のメディアは健康を大きく喪失しており、偏向を繰り返しているからです。政治がしっかりとしていれば、馬鹿げた妄言に人は耳を貸しません。然しながら、世論をきちんと理解し、実行していく牽引力に欠ける政治家が多過ぎる。武漢肺炎の初動態勢の遅れを指摘した記者に対し、二階は、憮然とした態度で反論したそうですが、何故、二階の好き勝手をメディアは糾弾しないのか、賢明な読者の皆さんならご理解頂けると思います。所詮、売国奴の提灯記事しか書けない新聞社や、批判を受けるべき人間が、「政治家」として大手を振って歩いている。中国の政治的な問題の核心について、報道する媒体が希少なことも、私を失望させています。中国当局の宣伝を鵜呑みにする限り、我々は真実を奪われた儘、放置されることを意味します。ジャーナリストが党の広告塔になるとしたら、それは中共による弾圧・虐殺の幇助者と変わりがないのです。それを糺すのが、政治家の役割ではなかったのか。つまり、政治とメディアは癒着が進んでいる。私達を欺こうとしている。それが私の結論です。
この記事のまとめ
本稿は、普段、私が見慣れたFACEBOOKの投稿を、自分なりに感じた通り、記述したものです。ここに謹んで、御鞭撻下さった皆様に、感謝の言葉を申したく思います。私達は善良な政治家を国会に送る責任と義務がある。私達自身が、よく考えて、人を選ばなければなりません。選良を見極める際に、香港自治への問題に関し、どんなスタンスをとっているのか。私はここを見ます。冒頭で二階の放言を糾弾しましたが、彼は日本の政界から追放されるべきです。筆力のせいか、皆様の貴重なご意見を、全て網羅することは出来ませんでしたが、最後までお読み下さって感謝の念に耐えません。
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