韓国と、断交を望む声が日増しに高まっています。GSOMIA破棄を巡って、高圧的な態度を崩さない韓国に、苛立ちを覚える日本人も少なくありません。結論から言えば、私は韓国と国交断絶すべきだと考えています。国内の世論を統制し、言論封鎖で人心を懐柔・工作する韓国に、私達日本人は、辟易を覚えている筈です。徴用工の問題に限らず、慰安婦が捏造され、世界に拡散された経緯を考えれば、大多数の日本人が、完全に韓国を見限る日が近いのかも知れません。金正恩の生死が定かでない現在、国際問題、なかんずく朝鮮半島の政治的空隙に、韓国が一国で対処出来る筈もなく、日米と緊密に極東の安全保障を考える時期にも関わらず、依然として韓国は、反日攻勢を改めようとしません。私は、日韓関係は、政治的には”不可逆的な関係悪化”の最中にあると考えています。もはや、日本は韓国に利用される側でなく、国交を閉ざして、関わらないのが一番だと考えます。何につけても、日本に対して、高圧的な韓国の態度は、あたかも、”敵性国家”の言説です。我々日本人は、李承晩ラインで竹島を簒奪されたにも関わらず、事ある毎に、並外れた援助を韓国に惜しみなく振る舞って来ました。然しながら、韓国の態度は硬化するばかりか、常に外交上のゴールポストを動かして、日本政府に対して莫大な賠償金を求めています。韓国は条約を遵守せず、常に、捏造された歴史に立って、日本を、日本人を毀損して来ました。そろそろ、日本人の堪忍袋の緒が切れてしまっても不思議ではない。1910年の日韓併合に正しく遡行すれば、日本が半島を侵略した歴史的な事実は存在しません。現在の、中国に於けるウイグル問題と比較するならば、韓国人を虐待した歴史は日本には無く、強制同質化を強要した歴史も無いのです。例えば、半島人の神風特攻隊員20名が、靖国神社に祀られています。志願して散華した半島人も、戦中には存在していたのです。本稿では、現在の韓国政治に焦点を当てて、日本が韓国を見放す日と銘打って、論考して参りたいと思います。
親日礼賛禁止に突っ走る韓国
恐らく、韓国人のメンタリティーには、幾らでも日本を貶めてもいいと言った、驚くべき傲慢さが潜んでいるかと考えられます。些かでも、”日本を礼賛したものは罰せられる”という、噴飯物の法律が可決する見通しの韓国ですが、青瓦台が、”自国民への言論統制”に着手したと、見る向きもあるかも知れません。元より、”親日罪”の存在する韓国とは、誠実な外交的対話など出来る筈もなく、言われるが儘に、日本政府は唯々諾々と、賠償金を支払って来ました。1965年に締結された日韓に於ける条約を、ちゃぶ台返しのように反故にして、日本人を蔑ろにし、国民総出で日本の国難(例えば東北大震災)を嘲笑してきたのが韓国世論の現実です。名の知れた韓国人学者の一人が、韓国には「文句を言う文化があり、それこそ民主主義の根幹である」との主張を展開していますが、私はこれは間違っていると考えています。これでは、政府批判は幾らでもするが、信頼できる政党や政治家に一票を託して、社会的な課題を解決することが出来ないことを意味しているからです。国家と国民との間に信託が無ければ、国を動かしていくことは不可能です。私は、これに似た事例を沢山知っていますが、社会不安を前提に、いずれも左傾したイデオロギーで組み立てられ、鼓吹されている。一般的に、左派政党・支持者は、社会の安定を最も嫌います。何故なら彼らは、政治や社会の不安定要素を「攻撃の材料」に活用しているからです。左派中核層の狙いは、日本社会の破壊が目的ですが、彼らの政治的なエネルギーは社会不安が基盤となっているのです。社会の安寧と秩序が保たれ、国民に不満が無くなれば、左派政党は生き延びられない。親日罪で、自国を煽っていたのも、韓国国民に日本政府を敵視させ、自ら優位に立とうとする暗愚な思考です。さも、自らが「正義」であるかのように粉飾し、韓国は日本を激しく攻撃して賠償金を奪った過去がある。いずれの国に於いても、国内の政治不信を高めるのが、左派政党の共通の目的であり、自ら火付け役になっても素知らぬ顔をして、「社会正義」の代弁者を騙るのです。彼らに共通するパーソナリティは、「罪悪感」の欠如です。彼らには良心の呵責が欠けていて、厚顔無恥で、躊躇なく、如何なる手段も厭わないことです。以上、見てきたように、左派政党は社会を不安定化させる元凶とも呼んでいい程です。それ故、私は、先述した韓国人学者の言説には、徹底的に抵抗します。私の見解では、現在の韓国政府は、”左傾したナショナリズム国家”だと観測しています。事実、左派の文政権は、前政権を批判することで、権力を得ているからです。
自分の足元を見詰めない韓国
過去、韓国が経済的に行き詰まる度に、日本が援助の手を差し伸べてきました。然しながら、もう、ご破産にしても良い頃です。民族には”自決権”がある。それを、どう使うかは、民族自身の問題であり、他者が口を挟む問題ではないかも知れない。経済的な失策があっても直視せず、歪んだナショナリズムに訴求して、国民の目を誤魔化すのも、その民族自身の自決権です。然しながら、その結果を享受するのも、自決権の範疇です。結果を享受するのは国民ですが、足元を見詰めない思考停止の状態を創り出す、政治の傲慢を許すのも、国民自身の選んだ道です。間違ってはならないのは、日本との関係悪化を作り出しているのは、韓国側の言説です。私達日本人は、韓国に対して、如何なる歴史的な負債も負っていない。それは恰も、幻想のように創り出された”紛い物”であり、我々はプロパガンダに敗北する訳にはいかないのです。批判の口実を失えば、韓国は対日政策の継続が難しくなる。昨今、慰安婦の虚構が露呈し、我々日本人の目にも、歴史的真実が見通せるようになっている。ベトナムに於ける韓国軍の凶行が指摘される一方で、韓国は対日批判を改めない。ここからは過去記事からの引用です。
如何なる歴史的歪曲によっても覆い隠すことが不可能であり、筆舌に尽くしがたい悲劇を経験したベトナムは、未来への復興と前進へ向けて国家が意気揚々と動いています。目覚ましい経済成長の影で、ベトナムには歴史的焼痕が確実に刻まれていますが、ベトナムの人は多くを語ろうとして来ませんでした。米国による枯葉剤の非人道性が喧伝される一方で、派兵された韓国軍による残虐行為が存在したことは歴史の暗部に埋もれて来ました。暴力の被害に遭い、殺害されずに済んだベトナム人女性にも、ライダイハンという苦渋に満ちた選択肢を余儀なくした韓国軍の行為は、決して許されることではありません。検証や遡行するのが比較的容易な、歴史的に見て近年の事実関係を韓国当局が何ら調べようとしないのは、明らかに作為であり、沈黙を続ける戦争体験者(退役軍人)もまた、自己正当化の極みにあると言っても過言ではありません。1966年2月の”ゴダイの虐殺(猛虎部隊による)”を筆頭に、首都機械化歩兵師団による1966年同月のタイヴィン虐殺、1968年2月の青龍部隊によるハミの虐殺など、枚挙に暇がない程に戦争犯罪が横行しましたが、これらは氷山の一角であり、統計上の数字は遥かにこれらの事実を上回ることは容易に想像がつきます。フーカット郡の死の谷への行進と拷問及び虐殺も3万5000人に上ると言われていますが、実数は兎も角も、日本に戦時の歴史的検証を迫る韓国政府にこそ、この事実の究明を国際世論は強いなければなりません。
つまり、歴史的な負債を負っているのは韓国自身であって、日本国ではない。ベトナムによる告発を、韓国は真摯に受け止めなければなりません。ですが、今の韓国には馬耳東風のようです。にわかに信じがたいことですが、自国の歴史を正面から直視せず、捏造によって他国を貶めている韓国人のメンタリティの底には、歪んだ歴史観が蔓延して居ます。ベトナムでの悪事に対して頰被りしたまま、慰安婦問題で執拗に日本を責め立ててきた代償は大きく、2020年現在、緊迫する半島情勢の中で国際的なシンパが得られず右往左往する韓国の将来は絶望的だと言っても過言ではないでしょう。
対日強硬派の文在寅
自由と民主をセントラルドグマとする日米と対立し、日米韓の枠組みを破壊して、従北によって極東の安全保障のスキームを破壊する。その為に、先ずは日韓関係を破局させて、事ある毎に日本と対立関係を増幅させる。慰安婦・徴用工・レーダー照射・GSOMIA破棄・日章旗の掲揚拒否など、あたかも「敵性国家」の如く振る舞い、文政権は日本を攻撃する。更には、苛立つ米国を刺激し続け、最終的には米韓同盟すらも弱体化させる。事実、これが文在寅の目論見なら、「朝鮮民族主義」とも呼ぶべき、壮大な妄想に近いと言わざるを得ません。センシティブな方法で「朝鮮民族」を鼓吹し、その為にこそ、反日を有効な政治的な手段として使っている。文在寅の主張する 「積弊清算」 とは、歴代政権の弊害を破壊すると同時に、対日政策での歴史的な成果そのものを、引っくり返す行為ではないでしょうか。私には、既に、韓国の崩壊が近いと感じられます。外交的な愚策が呼んだ末路ですが、今回ばかりは、日本の民意は許さない筈です、日本は韓国を突き放す時期が近付いている。既に福沢諭吉は、当時の朝鮮半島を眺めて、「脱亜論」の中で以下のように述べています。「 国を売りても身に利するところあれば憚らざるものの如し 」と。昨今の文在寅の外交を眺めていると、韓国国民に対しての、違背とも取れる行動が目立っています。北朝鮮との連邦制を企図する文在寅は、日韓関係を破壊し、自国に駐留する米軍を半島から追い出したがっています。国内では反共派に親日分子のレッテルを貼り、情報機関を縮小して対北警戒を徐々に緩め、大韓民国を無防備な状況へと追いやる文在寅の意図するものは明白です。結論から言えば、韓国の亡国を企図し、北主導による「統一国家」の目論見ではないでしょうか。そのためには、民意を煽り、反日へと向かわせて世論を操作し、日韓関係を破壊して、金正恩を首魁とする統一国家の建設にあるのでしょう。これを文在寅の妄想や錯誤として一蹴することも可能ですが、当の文在演は本気のようです。これは、壮大な妄想と言っても良い。現在の青瓦台の考えは、私には、理解の範疇を超えています。
この記事のまとめ
繰り返しになりますが、私は、韓国と断交すべきだと考えています。この考えに、賛同者が居るか居ないかは別として、もはや、国家の体を成していない韓国と、我々は付き合うべきではないと思っています。文在寅の功罪について、最後に纏めます。自国を北の弾圧国家の蹂躙の危険に遭わせ、国際秩序を乱し、条約を反故にして、挑発的な態度で他国を蔑ろにする。もはやこれは、「死」に値する行為だと私には映っています。福沢諭吉は書いています。 「悪政の余弊が民心の解体をもたらしたもので、是非もなき事なり」 と。こうして、韓国は歴史の流れの蚊帳の外に置かれ、いずれ滅亡する運命にあるのでしょう。日本には「外患誘致罪」という刑罰があります。これは、外国と通牒して戦争を引き起こした者は死刑に値する、というものです。文が政権から引きずり降ろされた後、どんな刑罰で裁かれるかは、私には定かでありません。いずれにせよ、危険なゲームを始めた文在寅には、何らかの報いが待っています。副題に、「新脱亜論」と銘打ったのは、先人の目の鋭さに、敬意を踏まえつつ、記事を纏めたかったからです。以上で本稿は閉じますが、先だって、私の記事を読んで下さった方に、厚く謝意の意を込めつつ筆を置くことにします。
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