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2017年4月のアサド政府側の化学兵器の使用によって、IS等のテロ掃討に大転換した筈のアメリカの対シリア政策の甘さが露呈した形になりました。シリア情勢が更に混迷を深める経過を辿りましたが、7年にも渡る内戦の帰結点はアサドによる継続的な統治に逢着するものと見られます。化学兵器の使用はアメリカにとってレッドカードでしたが、ロシアを全面的な後ろ盾とするアサド政権の増長に対して、どこまでアメリカが本気で対処するかで今後の帰趨が決まるでしょう。私個人の考えでは、アサドは退陣すべきだと思っています。改憲や国民投票など、小手先の改革だけでは、この悲惨な内戦を惹起した責任は果たせないと私は考えます。世襲によって独裁権力を引き継いだアサドは、禁忌である筈の化学兵器を殺戮と弾圧の手段に選びました。サリンガスをばら撒くことが民主的な方法とは、絶対に言えない筈です。本稿ではシリア内戦のメカニズムから説き起こし、アラブの春が一転して悲劇的な内戦に至ったことを記述し、イスラーム国(IS)の台頭によって内戦が更に混迷を深めていったこと、ロシアの介入と難民の大量発生による欧州の混乱、破壊された街や化学兵器の攻撃に苦しむ市民の生々しい姿を映像で振り返ってみます。
シリア内戦のメカニズム
シリア内戦はアラブの春(チュニジアのジャスミン革命)の延長にあり、弾圧された市民が武力闘争を開始したことに遡ります。アサド政権はアラウィー派を中心とする世襲の独裁政権であり、国民の大多数であるスンニ派の政治への不満が燻っていました。40年続いた世襲体制のアサド政権は独裁国家で、シリアの軍隊は政府軍というよりアサド家の”私兵”部隊だったのです。シリアもアラブの春の影響を多大に受けましたが、中東諸国の中では比較的民衆の操作や懐柔が上手く行われていたのがシリア国家でした。近代国家が市民デモを武力鎮圧すること自体、アナクロニズム(時代錯誤)の極致ですが、事態が急展開する切っ掛けを作った張本人は武力で市民を鎮圧したアサド本人にあると私は見ています。結果的に、アサド家独裁の打倒を旗幟とする2011年の”自由シリア軍”が結成され、運動は先鋭化していきました。民主化運動は革命闘争に一変し、市民は民主化運動から離脱し難民と化します。緩やかな市民運動だったアラブの春が、凄惨な”内戦”へと展開していった経緯は以上です。事態が進展するにつれ、シリア国内外の反体制組織やアサド政権打倒を支援する周辺国やアメリカを始めとする欧州各国、抑圧されてきた過激なイスラム組織などが一斉にアサド打倒を目指し始めることになります。シリア政府軍と反政府軍、及びISの三つ巴の争いが展開し、諸国の思惑が絡んで内戦が極めて複雑になっていきました。最終局面では、ロシアと中国がアサド側を支援し、内戦はグローバル化による米欧との”代理戦争”と化していきます。ここにサウジアラビアとイランの対立の図式が乗じられ、戦線が複雑に膠着することになったのです。
シリア内戦の複雑な仕組みを見た後は、ISの台頭とロシアの武力介入によって中東のプレゼンスがどう変化したか記述してみたいと思います。
イスラーム国(IS)の台頭とロシアの武力介入
シリア政府軍と反政府軍、及び諸外国の干渉の間隙に巣食う形でシリア内戦に関与し、息を吹き替えしたのがイスラーム国(IS)です。ISをテロ集団と規定することで軍事活動の正当化が可能になったアサド政権は戦争の大義名分を得た形となりましたが、内戦自体は複雑化して収拾が着かなくなっていきました。ISのイデオロギーと破壊主義を危険視するようになった欧米諸国は、アメリカを除き反体制派への助力を見直し始めるようになります。ISはシリアの隣国であるイラク北部を米軍撤退後に制圧し、シリア内戦へと介入し始めます。豊富な資金源(主に油田)と米軍が残したイラク政府軍の最新鋭の武器を鹵獲し、ISは高度に武装していました。ISは民主主義と自由主義を否定し、”イスラム教”を理想とする国家の建設を標榜していました。彼らは世界的にも類を見ないほど危険かつ残忍過激なテロ集団ですが、一定の共感を獲得していました。出口の見えない中東情勢の中で、既存の価値に依らずイスラム教の理想国家(実は幻想に過ぎない)を樹立すると謳うISのイデオロギーが、未来を喪失した自棄的な民衆に一定の指示の念を惹き起したとしても不思議ではありませんでした。それ程までに、中東の混乱、とりわけシリア内戦は危機的だったのです。ISは危険だとの認識はあるにせよ、最初からアサド政権転覆を企図するアメリカは、シリア内戦に対し複雑な対応を迫られることになります。と言うのも、ISをアメリカが先に壊滅してしまえば、シリア政府軍に利を与えてしまうことになるからです。さらに追い打ちをかけるように、政治主導による平和的解決を企図したジュネーブプロセスの失敗がシリアの内戦を膠着化させていきます。ジュネーブプロセスとは、シリア内戦をソフトランディングさせる国際社会の青図面だったのでした。打開策のない手詰まりの状態の中、アサド大統領はロシアに援助を求め、ロシア軍の介入でアサド政権側は一挙に戦況が有利になります。ロシアの参戦は名目上は対テロ支援(IS掃討)でしたが、空爆は反政府組織にも行われました。古くからのシリアの友邦国ロシアは、中東でのプレゼンス確保の為に派兵したと思われます。いずれにせよ国際会議でのロシアの発言力は増大することとなりました。アサド政権延命を図るロシアの政治的アドバンテージが高くなることは、反政府軍を支援するアメリカにとっては不都合なことでした。アメリカにとって、市民を無差別に空爆で殺傷したり、禁止された化学兵器(神経ガス)を保有するシリア政府のほうが、テロリストよりはるかに危険な存在だとの認識があったためです。アメリカの新大統領であるトランプのオバマ批判は正しく、実効力を欠いたオバマの対シリア政策こそ、シリアの混迷を深めることになったとの指摘に私も賛同しますし、IS以上にアサド政権の人権無視こそ看過出来ないとの主張にも私は共感しますが、極めて遺憾なことですが、シリア政府軍は化学兵器を実際に使用してしまいました。
ISの台頭とロシアの介入でシリア内戦に転換点があったことを確認した後は、実際にシリア内戦がどれ程凄まじい状況だったのか、映像を通じて検証していきたいと思います。
シリア内戦の激しさを物語るDocumentary映像
シリア最大都市アレッポでの市街戦を物語る映像を探してみました。内戦の激しさを示す街の破壊状況をドローンで空撮したものですが、戦闘の激しさと街の悲惨な状況がよく分かる秀逸なReportだと思われます。映像を見る限り、大量の難民が発生した理由は、空爆の恐怖が激甚だったからだと理解出来ます。元はと言えば、シリア人の子供が街の石壁に政府批判の落書きを書いたことから、この悲惨な内戦が始まったのでした。落書きをした子供は警察に勾留され、即時釈放を求めた市民がデモを開始したことに端を発するのです。アラブの春(ジャスミン革命)が背景にあったにせよ、7年もの期間に渡る悲劇的な内戦に至るとは、当時のシリア市民も諸外国の国民も予想だにしていなかった筈です。一度以下の空撮映像を御覧下さい。市街区が原型を留めない程に破壊し尽されている様子が手に取るようにご理解頂けると思います。―BBC news
人的被害のほうですが、シリア人権ネットワーク(SNHR)の推計によると、16,913人の市民が2016年に殺害されています。ISの殺害方法は公開され、その大半が斬首によるものだが、内戦による死傷者の全体の1割です。ここでも、シリア政府軍とロシア軍の空爆による死傷者の数のほうが圧倒的に多い点を強調しておきたいと思います。参考までに、SNHRの公式サイトのアドレスを以下に掲載したいと思います。TOPページの掲示に死傷(Victim)の数が公表されています。
シリア人権ネットワーク(SNHR)公式サイト
アレッポの破壊状況及びシリアの人的被害について確認した後は、欧州に押し寄せる難民問題と、シリア政府軍による化学兵器の使用及びアメリカの攻撃について解説していきます。
難民問題に動揺するヨーロッパ及び化学兵器の使用とアメリカの攻撃
シリア内戦はヨーロッパにも激震が走りました。内戦を受けて、ドイツを中心とするシリア難民の大量受け入れ政策が始まりましたが、排外主義や極右の台頭を招来することになりました。戦禍を逃れたシリア人の受け入れが招いたのは、難民に紛れて欧州に侵入したISのテロリストがテロを引き起こす結果となったためです。シリアと地続きのため、大量の難民が一挙に押し寄せた欧州でしたが、特にドイツでは、メルケル首相を批判する声が挙がっています。治安の悪化や、ゲットー化した難民が異文化を持ち込むことになり、欧州の国民との軋轢を生んだのです。欧州の選挙では、AfD等の躍進に見られる内向きで排外的な政党が主流となりました。ヨーロッパもシリア内戦と無縁ではなかったのです。実際にベルギーではテロが起きています。私の考えでは、今後の欧州各国は排外的なナショナリズムの風が吹き荒れ、混迷を深めていくと思います。イギリスはEUの難民受け入れ措置に業を煮やして、ポンドの大幅下落、失業者増大、及び景気悪化を覚悟でEU離脱を決めました。ロンドンが欧州経済の中心地であった以上、イギリスのEU離脱は欧州経済全体にとって甚大な被害をもたらすと考えられます。
欧州が難民問題に振り回されている頃、ロシア軍の介入による反政府勢力の衰退を鑑み、トランプ政権はアサド大統領の延命を追認しましたが、アサド政府軍は2017年4月4日にシリア北西部のイドリブ県に空爆を実施しました。72人が死亡、この作戦で化学兵器(神経ガス)が使用された疑惑が持たれています。サリン等の兵器が使用された証拠として呼吸困難や痙攣する負傷者が動画としてアップロードされています。
4月7日、アメリカは化学兵器の貯蔵施設を巡航ミサイルで攻撃しました。トランプ大統領が対シリア政策の転換を宣言してから、わずか1週間後のことでした。この事態を受けて、恐らくアメリカの対シリア政策が再び転換する可能性が高まっています。アサド政府側とロシアは化学兵器の使用を全面的に否定しているが、事実の可能性が極めて高いと思われます。今後もシリア情勢は予断を許さず、冒頭で記したようにアメリカの対シリア政策に依る側面が大きいでしょう。
この記事のまとめ
記事本文で触れましたが、シリアはアメリカの政策転換を見計らって、機を逃さずに化学兵器を使用、シリア内戦の緊張度を再び極限まで増大させてしまったのです。アサドは完全にアメリカを敵に回した形となり、反政府勢力とISの駆逐の後に対米戦争の可能性を抱えてしまいました。私はアサド大統領も単なる”テロリスト”の一人だと思います。弾圧の手段としてサリンを使用した独裁者が、平時になれば穏健な民主的な指導者に変貌するとは到底考えられないからです。シリア内戦を長引かせてきたのも、国際社会の足並みが揃わなかった点が大きいし、確かにアサド個人の処遇を巡って意見が分かれたことも背景にはあったでしょう。然しながらアサドの”独裁者”としての権力への固執こそが、シリア内戦を紐解くメルクマールであるべきです。アサドは欧州への留学歴を持った医師であり、開明的な人物であると評されて来ましたし、実際にそう解く書籍も多いです。ですがシリア人権ネットワーク(SNHR)のの公表する統計を見る限り、無辜の民衆を殺戮し続けた罪は贖わせなければなりません。最後に、参考までにシリア内戦を描いたDocumentary映画のアドレスを貼っておきます。
映画『シリア・モナムール』公式予告編に見られるシリアの切迫した状況
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