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通称DRC(Democratic Republic of the Congo)、すなわちコンゴ民主共和国の長期に渡った紛争の陰に、大勢の子供たちが犠牲になった事実を私は忘れることが出来ません。私は当時(2002年頃)、リアルタイムでコンゴの紛争をつぶさに見ていました。私たちは豊かなネット社会を築き上げ、日々その恩恵に浴していますが、その背景で、コンゴ周辺ではレアメタルをめぐる紛争が深刻化していました。ここで指摘するレアメタルとは、スマホなどの材料に使われる希少金属のことです。私たちのネット社会は、540万人以上のコンゴ及び周辺国の失われた人命の上に成立しています。国際的な無関心と人道支援の不備こそが、これほど巨大な悲劇を作り出したにもかかわらず、日々漫然とネットに向かい続けるのに慣れてしまった今の私は、あまりに自分が無頓着な気がして、時としてやるせない気持ちになるのです。私の知る限り、コンゴ民主共和国の紛争に関して理解している日本人は数百名に満たないでしょう。5年にわたってコンゴの紛争を凝視し続けた私は、紛争の収束と共に任が解かれた思いで一杯でしたが、第二次世界大戦以来、最大の死者を出したこの紛争を書き記しておく必要を思い立ちました。とりわけ私が指摘しておきたいのは、年少者が戦争に駆り出された事実です。いわゆる”子供兵士”と呼ばれた、12歳未満の年少の兵士たちのことです。今回の記事では、歴史的に未曾有の悲劇を生んだコンゴの紛争と子供兵士について記録していきたいと思います。
コンゴ紛争は資源争いだった
豊かな通信社会を作り上げた私たちが無関心だったのは、アフリカで起きている悲劇だったのです。例えば私たちは何気なくスマートフォンを使っていますが、部品に使われている希少金属のことまで関心が行き届かないこともあるようです。
鉱物資源の豊富なコンゴ民主共和国では、貴重な資源を巡って血生臭い紛争が勃発しました。
余談ですが、これはコンゴに限らず、ダルフール紛争を惹き起こしたスーダンでも同じ現象が見てとれます。原油の生産量の多いスーダンに武器を供与して、紛争を激化させたのは、他でもない中国です。石油の埋蔵地域の住民弾圧のためには武器が必要です。原油を見返りに、スーダンに武器を供与したのが中国でした。コンゴも資源に恵まれていたため、かつての宗主国の思惑や周辺国の利害が複雑に絡み合い、15年もの内戦を経験したのです。15年間に紛争が原因で命を落とした人は540万人を超えます。ダイヤやコールタンをはじめとする資源大国のコンゴ民主共和国も、政情不安な独裁国家だったため、長期に渡って国際社会からの”良識的”な支援が受けられなかったのです。一方、長期的に戦争を続けるには武器が必要ですが、どこの国がコンゴに武器を流しているか注意深く見る必要があります。Control Arms誌によると、中国とロシアがコンゴに武器を流している国家の筆頭に挙げられています。これでは国連安保理も機能しない筈です。
戦場に駆り出された子供たち
戦闘員として、あるいは慰安婦として、突然誘拐され拉致された子供たち。
兵士として戦うことを強要され、性的奴隷として虐待されて死んでいった子供たちが大勢いました。
自分の家族の殺害を強要された子供もいました。部隊を構成する戦闘員の大半が未就学児だったケースすらあります。薬物を投与されて精神を操られ、”戦う恐怖”を麻痺させられた子供が大勢いました。2002年当時、私は子供たちの証言録を翻訳していましたが、あまりに無惨なので公表をためらったほどです。悪逆非道の限りを尽くした指導者は、国際的な戦争犯罪者として訴追されていますが、当時の子供たちは、”カビラ大統領”を崇拝するよう強要されていました。政府軍ですら軍規が保たれず、このありさまだったのです。なぜ子供を兵士として使ったかと言うと、”洗脳”が簡単だったからです。正規軍もゲリラも子供兵士を使い、子供同士が殺し合う阿鼻叫喚の地獄絵図が展開していました。国際人権団体の当時のレポートを読むと、”大人”が”子供”にいかに残虐な行為に及んだかが詳細に記載されています。戦争の道具として使われて殺し合い、殺されていった子供たち。皮肉なことに、子供たちの死の犠牲の上にインターネットが成立しているにもかかわらず、私にはインターネットを使って情報収集するしか方法がなかったのです。激烈だった紛争が収束しても、国家も社会も破壊されてしまったので、戦傷で苦しむ子供たちの受け皿になる仕組みはどこにもありませんでした。乳飲み子を抱えた12歳の少女が、街をさまよう姿が心に強く残っています。父親が誰であるかも定かではありません。
子供兵士は世界の至る所に存在していますが、多くは前線で闘わされたり、地雷原を行軍させられたりと、極めて危険な状況を強いられています。掲載した動画は、平和と子供の幸せを希求するメッセージですが、内戦が激化していた時分は、生々しい映像が連日放映されていました。
子供たちが駆り出されるのは戦場だけではありませんでした。資金源として重要な鉱石の採掘労働まで強いられています。そのほとんどが、賃金も支払われず、過酷な奴隷労働と同義のものです。採掘されたレアメタルは、欧米やアジアの大手メーカーに部品の原料として納入されますが、某人権団体は名指しでその反人道性を攻撃しています。私たちが使っている通信端末には、例外なくレアメタルが用いられていますが、各社とも、コンゴで採掘されたレアメタルは使用していないと主張しています。これらの企業の主張を鵜呑みにすると、DRCの内戦が15年も続いた理由が説明不能であり、反政府ゲリラの資金源がどこから湧いてくるのか不可解なこととなります。世界的規模での産出量を誇るコンゴのレアメタルが、一体どこに消えたというのでしょうか。莫大な収益や個人資産を生んだ奇怪な仕掛けがどこかに潜んでいますが、あえてここでは告発致しません。
無関心だった国際世論
多くの諸国にとっての関心事は、決してアフリカの子供の命ではありませんでした。この紛争の本質は、資源を巡る利害の綱引きだったのであり、人道的支援の要素は微塵もありませんでした。国際社会はアフリカの子供の命がどれほど奪われようと、全く無関心でした。かつてアフリカの飢餓や疫病には過敏に反応してきた欧米メデイアが、DRCの問題には口を閉ざしてしまったのが私には意外でした。民間の人権団体が告発と啓蒙活動を営々とやっていましたが、誰も関心を持ちませんでした。2002年当時、私は東京でインターネットの黎明期に立ち会っていました。爆発的な普及を遂げた通信技術、スマートフォンの普及や”世界の一体化”の中で、アフリカでは夥しい血が流されていたのです。当時、インターネット自体は夢の技術として賛美されていました。世界の人々を一体にする、”情報革命”とまで謳われていました。
実は血で血を洗う激甚な資源争いの中から産声を上げたのが、情報社会の実態です。
然しながらいくら有用な技術があっても、痛ましい戦争が人々の関心事に上らなければ、”死に絶えた情報”と化します。
”鉱物紛争”という言葉があります。コンゴの場合、コールタン(レアメタルの一種)を指しますが、未だに政情不安が続くコンゴにおいて、武装勢力の資金源の根幹を成すのが鉱物利権です。私たちがスマートフォンを購入するとき、その対価の一部がゲリラの資金になっている可能性は否定出来ません。
コンゴ民主共和国の平和に向けて
15年に及ぶ内戦の結果、DRC コンゴ民主共和国は極限まで疲弊しました。遠いアフリカの地で、痛ましい紛争が続き、多くの人々が悲しみに突き落とされました。内戦が始まるまでは、コンゴは自然の美しい、温和な国民で構成された豊かな国だったのです。2002年に和平への扉が開いたかに見えましたが、ある人権団体のAnnal Reportを読む限り、内戦の再燃の危機が去ったとは言い難いのです。
コンゴ民主共和国の真の平和と人権を守る為には、国際世論の強い働きかけと、私たちの辛抱強い監視が必要です。
コールタンを消費する以上、私たちもコンゴの情勢と無関係だと言い切れない側面があります。コンゴの紛争をつぶさに眺めることを通して、私たちも自分自身を省みる必要がありそうです。私が最後にコンゴ紛争の問題に言及したのは、2008年2月のことでした。毎年報告書に目を通して来ましたが、コンゴ紛争に関して記事を書くのは9年ぶりです。
尊い犠牲があってこそ、自分が言論に勤しむことが出来ることはよく理解しています。失われていった命の大きさを思えば、強く平和を願う気持ちは読者の皆さんと共有出来ると思っています。
この記事のまとめ
コンゴの内戦の背景にあるもの、それは鉱物紛争とも呼ぶべき資源争奪戦だったこと、子供を道具として争いが営まれたことと、540万もの巨大な命が失われたことを記事にまとめました。インターネットもスマートフォンも確かに便利な道具です。我々は文明の利器の恩恵無しには生活が難しくなっているからこそ、コンゴのことを少しでも気に留めて頂ければ幸いです。考えようによっては、インターネットほど有用な道具はありません。活版印刷に依存していた時代とは異なり、情報の伝播する速度が極めて早く、例えばコンゴの問題にせよ、現地に赴くまでもなく手に取るように今では理解出来るからです。コンゴ民主共和国で起きた内戦の悲劇は、我々に文明とは何か、今一度立ち止まって考える機会を提供しています。多くの命を尊ぶ為に、そして失われた命の重さを知る為にも、真実に目を向けてしっかりと歴史を歩んでいく必要がありそうです。
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